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フェレット、クーちゃんのお別れ。 [フェレット]

本当は深大寺で火葬をしたかったのだけれど(お寺だし)、ここでできる時間を取るには月曜日しかない。

これからはまた梅雨空で、昨日今日ほどの高温予報ではないが、今の時期で土日を越えて、肉体を維持できるか…。

厳しいと思う。

クーちゃんがなるべく、クーちゃんの威厳を保っているうちに、と言うのが最良かも知れない。





しかし、他のブログで失ったペットの事を書いてある記事があり、遺体をずっとそばに置いていた人のニュースに、今は理解できるというコメントがあった。
私も同様。当時は理解も共感もしなくて、単に気持ち悪かった。
今は少し分かる。「存在を失うことの怖さ」が、そこにあるのだろうな…。
そこを乗り越えて、自分の手で、火葬場へ連絡して、その存在を、死を、不可塑なものへとすること。

厳しいものだなと、思った…。





夜間も可能なペット専門の場所を見つけた。

東京都町田市小野路町5330-3 多摩市一本杉球場すぐ側 多摩センター駅より車6分
動物ねむりの里



あす夜、23時から行う予定だ。

本当に、肉体の乗り船がなくなってしまう…。

撫でた感触も…。


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コメント 14

okko

自分を癒してくれた存在、お気持ちはよくわかります。
当家も犬4匹、腕の中でなくしています。
これまで有難う・・・・想いはいつまでも引きずっていいけれど、感謝と共に早く土に還して上げるのが一番クーちゃんのためではないかと・・・・
ねむりの里、いいところが見付かってよかったです。
by okko (2011-06-25 10:16) 

サチ

のんの時の別れのあの光景とダブらせてしまっています。
やはり・・・肉体と最期の別れ、触れているその毛の感触を二度と
感じられない火葬の時が一番つらかったです(辛い時にゴメンナサイ)
でも、7年間というほんとに素晴らしい時間を生き抜けた事、
幸せだったと思います。今は悲しみの方が強いと思うので、慰めの言葉も
耳にはいらないと思いますが、だんだん楽しかった思い出を笑いながら話せる時が
来ますから悲しみを乗り越えてくださいね。
のんにさっき、クーちゃんを近くまで迷わないように迎えに行くように伝えたので
大丈夫です。二人で寄り道しながらね・・。想像しちゃいますね。

by サチ (2011-06-25 18:39) 

袋田の住職

合掌!
by 袋田の住職 (2011-06-25 20:54) 

きまじめさん

HOKUTENさん、よくご決心なさったと思います。
あの美しい毛艶が衰えていくの見ていくのは悲しいことであると同時に、
クーちゃんにとっても耐えられないことだと思います。
美しさのままのすがたえを目にしっかり焼き付けておく事、
そうされることがクーちゃんにとってもも嬉しいことだと思います。
実際に手で触れることはなくなっても、その感触は心に残っていることでしょう。
かさねて、冥福をお祈りします。

by きまじめさん (2011-06-25 22:11) 

HOKUTEN

>okkoさん
4頭も…。大先輩…。
とりあえず、お骨は持って帰りました。
土に返すのが自然な姿…。そうかも知れませんね。
どこかでまた、区切りが必要…。


>サチさん
あぁそれでか・・・。ありがとう。
今はクーちゃんに感謝しかないかな。
色んな事に気付かされたし、学ぶ事が多い。
それにしても、ほんと、存在と言う感触がなくなると言うのは厳しいね…。
先ほど、区切りの一つを、越えてきました…。


>袋田の住職さん
ありがとうございます。ありがとうございます。


>きまじめさん
ありがとうございます。
ドライアイスを入れたら流石の冷え方でしたので、もしかしたら保てたかもしれませんが、それでも今回、土曜日に行ってよかったです。
結局家族全員で骨を拾えたので。
彼に触れる事の出来ない寂しさはありますが、彼の存在はあります。
本当に、時間を共に過ごせたこと、感謝しかありませんね。
今はとりあえず一区切り…です。
by HOKUTEN (2011-06-26 04:02) 

ぱむ

クーちゃん、がんばりましたね。
パムも最期近くに、「くー、くー」と何回も鳴きました。
その声はいまだ耳に残ってます。
火葬か否かの選択、よくわかります。
パムも気温が高い時期でした。その時まで保冷剤で、もたせていました。
そのままで居させても…私はその圧倒的な”静”に胸を締め付けられました。
お骨になって再び手に戻って来たとき、おっしゃるように、
一区切り、つきました。
いまはまだ悲しみの中でしょうけども(私もしかり)、クーちゃんが7年間
生きたことは消えないし、また少しずつ前へいきましょう。
by ぱむ (2011-06-26 12:09) 

sakamono

陰ながら冥福をお祈りし nice! を押させていただきます。
by sakamono (2011-06-26 23:02) 

HOKUTEN

>ぱむさん
クーちゃん、良く頑張りました。ただ、頑張れとは声を掛けず、大丈夫、ずっとそばにいるよ。って、声を掛けていました。
今までの九官鳥やモルモットは庭に土葬でしたけど、今回はね、半年前の危機の時に、火葬にしようと決めていたから…。
保冷剤で囲んで横に置いていたけれど、腕に抱いて息を引き取り、お風呂に入れて爪を切って、暴れて余り綺麗には出来なかった耳掃除をして、それから寝かせたので、静かなのは得心していました。
私にとっては腕の中で、フェレット・クーちゃんの時が終わったその瞬間が、最も苦しく、最も心引き裂かれる思いをしたので、横に居る、その事だけで妙に安堵感がありました。
火葬の時、炉台に棺桶を載せている時には、その前からずっとクーちゃんの存在を感じていたので、この出会いの肉体の乗り船は、役目を終えたのだと思えていました。もちろん、そう思えても悲しく、寂しくない訳ではありません。

今日、車で仕事から帰って、駐車場でぼーっとしてしまいました。
クーちゃんの居ない部屋に帰るのか…と。
でもね、ミコちゃんが待っている。「みこちがまっているよ~」って懐を掻かれた気がしたから、そうだったなってね。
うん。クーちゃんの思いに応えていかなければなるまい。
ゆっくりと、ゆっくりと、歩みださねばね。



>sakamonoさん
ありがとうございます。
クーちゃんが多くの人に(ブログに出ているなんて知らずに)声を頂いて、びっくりしているかも知れません。
「あそばずにこんなことをしていたのか」って、呆れているかも知れませんね。
ありがとうございます。
by HOKUTEN (2011-06-27 01:08) 

月夜

言葉が最初うかびませんでした。悲しいです。
喪失感はつらいです。
現に今もわたし時々泣くこともありますし。
どうか、クーちゃんとの大切な思い出を糧に少しずつ区切りをつけていってください。
ご冥福をお祈りいたします。

by 月夜 (2011-06-27 01:21) 

HOKUTEN

>月夜さん
そうですね。喪失感は…。
昨日はミコちゃんがクーちゃんを探して居る感じでした…。
懐を覗き込んでクンクンして。(そこにクーちゃんが居れば入って行って…)
ミコも徐々に受け入れていくんだな…。(あぁ泣いちゃった…)

区切りは、無いのかもしれませんね。やはり、繋がっていく。
節目、という言葉の方が合うような気がしてきました。
7年という歳月があったように、これからも歳月は流れていきます。
7年と言う歳月を含んだこれからの歳月を、歩いて行く。
コメント、ありがとうございます。
by HOKUTEN (2011-06-27 13:16) 

piano

アイコンを見て、嫌な予感を感じながらも久しぶりに訪問したら
ああ、やっぱり・・・・(号泣)
2年以上前のモナの最後の時を思い出して涙が止まりませんでした。
クーちゃん、可愛くて大好きでした!絶対忘れないよ^^
7年間、いっぱいかわいがってもらって、いっぱい素敵な写真を撮ってもらって
幸せだだったと思いますよ^^
悲しみは時間が解決してくれます。
無理に忘れようとしたりせず、クーちゃんのことを想っていていいと思います。
ご冥福をお祈りします。
by piano (2011-06-28 05:21) 

HOKUTEN

>pianoさん
コメントを残さずにすいませんでした。
クーちゃんの事は忘れる事は無いでしょう。特に、ミコちゃんと一緒になってからその個性の差から「クーちゃんだったらこうだな」と言うのはもう習慣化していて、今も普通にそういう考え方になっています。
それが悲しいとかではなく、日常なので…。
居ないというのが普通になるのは寂しいけれど、居てくれた事、過ごした時間、残していった思い出は消えないですからね。
肉体の姿は無いけれど、存在はあります。
過ごした縁は、失われる事はありません。
私が、同じくこの世を去り、同じく魂の存在になった時には同じ世界のものとしての触れ合いもあるでしょう。
その時までの、しばらくのお別れです。
コメント、ありがとうございます。
by HOKUTEN (2011-06-30 00:41) 

as

ご無沙汰しております。我が家でもおととし、人生の半分以上をともに暮らした愛犬を老衰で見送りましたが、彼を撫でている間、彼の魂が限界ある肉体を離れて、今は自由に飛び回っているのかな、と考えると不思議と気持ちが前向きになりました。やはり最後は自分の自由に動くことすら出来ませんでしたから、天寿を全うし、霊魂として肉体の呪縛から離れた今の方が、大好きだった公園やお散歩コースを好きな時に歩けるんだし良いのかなと・・・。ただ彼の存在を目で見ることが出来ないし、触ることもできない。ある意味五感で感じることが出来ない存在となることはさみしいですが、ちょっと仏教的な思想で考えて、自分を慰めていたことを思い出します。でもね、やっぱり辛いんですよね・・・
by as (2011-07-03 16:05) 

HOKUTEN

>asさん
そうでしたか…。おととしにお別れがあったのですか…。
私はクーちゃんの存在を感じられているので、その分は心の平静を保つ作用があるのかも知れません。
それでもやはり、もう少し一緒に居たかった、過ごしたかったなぁというのが本当の気持ちです。
仏教思想でいうなら、今は愛別離苦となるでしょう。
ただ、それを癒すのはやはり、居てくれた事、共に過ごした時間への感謝なんだろうなぁと思います。
しかしそれでもね、やはり寂しさは襲ってきますよねぇ…。
by HOKUTEN (2011-07-05 01:30) 

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